ADV史 2

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『アドベンチャー』へようこそ!!説明が必要ですか?

>はい

どこかにある『コロッサル洞窟』、数多くの金や財宝があるといわれているが、生きて帰った者はいないと噂されている。

洞窟では言葉が魔法の力を持つ、それはあなたの目と手になり、1つか2つの単語で命令できる。注意すべきことは、最初の5文字しか識別しないことであり、例えば北東のつもりで“northeast”と入力した場合でも“north”と解釈される。

(困ったとき、「ヘルプ」と入力すると一般的ないくつかのヒントを表示する。どうやって冒険を終えるかなどの方法を知りたいときは「説明」と入力すること。)

 

このプログラムのオリジナルはウィリアム・クラウザーによって開発された。現代のプログラムの仕掛けの多くはドン・ウッズによって追加されたものである。

 

レンガの小屋の前にある道の終点に立っている。周りには森があり、小川が小屋から峡谷へと流れている。

>南

森の中の谷にいる。小川が岩にそって流れている。

 

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 このような冒頭文からはじまるADVの起源『Colossal Cave Adventure』(以下『CCA』)は有志日本語訳が存在しており、日本語入力で遊ぶことができる。上に書き出した文はそれをベースにしたものである。前回は『CCA』が定義した典型的なスタイルとは何かを説明する書いたが、その前にゲーム全体の流れを説明したほうがいいと思った。ネタバレを含むことになるが、今回はこのゲームのクリアまでの流れを説明する。

 

  ゲームは「東」「北」「杖を取る」などのコマンドをキーボードで入力して、コンピューターとテキストのみで対話しながら洞窟を進んでいく。ゲームの目的は、洞窟に散らばる宝を地上の小屋にすべて持ち帰ることである。シューティングゲームのようなスコアの概念があり、宝を入手すると得点が手に入り、小屋に宝を置くとさらに得点が入る。スコアの満点は350点だが、スコアそのものはクリアの条件ではない。スコアは減ることもあり、謎解きのヒントを聞いたときや、プレイヤーが死んだときにコンテニューすると減点される。しかしトラブルなくクリアしたとしても349点までにしかならない。最後の1点はイースターエッグのような脈絡のない謎解きで埋めなければならない。そのためこの1点は、最後の厄介な点(Last Lousy Point)と呼ばれ、当時のプレイヤーを大いに悩ませた。プレイヤーによってはバグだと思い、改造行為で埋めたという。宝以外にもアイテムがいくつか存在しており、アイテムはスコアの対象ではないがそれをを活用しないと目的の宝を入手することはできない。どこでどのアイテムを使うのか、これが謎解き要素になっている。持ち物には制限があるので適度にアイテムや宝などを地面に置くなどしてインベントリの管理もしなくてはいけない。もう使うことがないアイテムは地面に置いて先に進んでもいいが、アイテムによっては何回か使うものも存在する。

 このゲームには最初の環境ストーリーテリングといえる描写がいくつか存在する。通路によっては「塩の香りがする。かつてここに通路があって海に繋がっていたようだが、今は穴でふさがれている」といったその先の想像力をかきたてるものがある。実際、他の拡張版ではそのような部屋の先に通路や部屋が追加されている。また洞窟はドワーフによって作られたことも示唆されている。洞窟には最深部という概念はなさそうだが、地底湖や火山がある部屋をそれと見なすことはできる。その部屋の描写は冒険の果てに壮大な光景を前にしたときの感動を与えてくれるだろう。

 洞窟にはトロル、ドラゴン、ドワーフ、しゃべる豆の木などのファンタジー的な世界観で彩られている。トロルは通路を通せんぼし、ドラゴンは眠っているので脅威ではないが、ドワーフ一定の確率で何度も出現してプレイヤーを殺しにかかってくる敵モンスター的な存在である。ドワーフの攻撃はミスすることが多いため、攻撃が当たる前にドワーフにアイテムの斧を投げて倒さなくてはいけない。HPの概念はなくドワーフの攻撃が一度でも当たればプレイヤーは死んでしまう。無視して他のマップに移動してもいいが、ずっと付きまとわれるはめになり、そのうちドワーフに先制攻撃されてしまうだろう。めったにないが、出会い頭に先制攻撃されて攻撃が当たって死ぬという理不尽なこともこのゲームでは起こる。

 洞窟は広大かつ複雑な構造をもっており、手元に紙などを用意してマッピングすることは必須だ。たとえばある部屋から西に進んだとしても途中の通路が折り曲がって部屋の北側に出るといった、来た道の反対方向に戻れば元の場所に戻れるような簡単な構造にはなっていない。一定の確率で戻されてしまう通路、部屋ごとの特徴を見分けることができない迷路地帯も存在するため、3DダンジョンRPGよりも空間の把握は困難を極めるだろう。また洞窟は暗いためアイテムのランタンに明かりをつけて進む必要があり、もし明かりをつけずに進むと高確率で穴に落ちて死んでしまう。しかしランタンの明かりをつけたまま行動しすぎると今度はランタンの電池が切れてしまう。実はこのランタンの寿命こそ『CCA』でプレイヤーをもっとも悩ませる要素である。ランタンの電池が切れてしまうと、地上にいたとしても問答無用でゲームオーバーである。しかし、洞窟にちらばるすべての宝を集めることを考慮すると、そのランタンの寿命は必要最小限の動きに抑えなくてはいけないシビアな調整になっている。ゆえに洞窟内ではなるべく無駄な動きせず、地上にいるときは明かりを切ってランタンの寿命を長持ちさせるのがコツである。

 ドワーフに攻撃されたり、穴に落ちたりしてプレイヤーが死んでしまったときは2回までコンテニューすることができる。コンテニューすると地上の小屋からリスタートだ。小屋に置いた宝や地面のアイテムはそのままだが、持っていたものはすべてなくなっている。この紛失したものは最後に死んだ場所の周辺の部屋に落ちているのだが、そのなかにはつねに持っていたランタンも含まれているだろう。ランタンがないと洞窟は探検できないので、コンテニューしたところで結局はゲームオーバーである。このためコンテニューはこのゲームではほとんど機能していない。このゲームは最初に戻って何度も何度もイチからやり直すプレイスタイルのゲームなのである。なお序盤だけは死んだときになぜかランタンが小屋の外に置いてある救済がある。

 殺しにくるドワーフとは違う意味で厄介な存在なのが海賊である。海賊はプレイヤーの行動のたびにマップを独自に動いており、隣接する場所に海賊がいるとプレイヤーはその気配を感じることができる。運悪く海賊とプレイヤーと鉢合わせるとプレイヤーの持っている宝を根こそぎ盗まれ、アイテムだけが残る。これは地面に置いた宝も対象で、インベントリがいっぱいなので一旦宝を地面に置いて、どこかに行って戻ってくると宝が消えていることもある。逆に宝をもっていないと海賊は出現しない。しかしこの海賊、何も悪いことばかりではない。実は海賊に宝を盗まれるのはクリア上必須条件なのである。宝のひとつに「海賊の宝箱」というものがあり、これは宝を一度でも盗まれてないと出現しないめんどうな宝なのだ。ゆえにゲームをクリアするためには一度は海賊から盗まれることは必要なのだが、ランタンを気にして必要最小限の動きしかしないと、今度は海賊に一切出会わないなんてことが頻繁に起こる。そして海賊を探している間に結局ランタンの寿命が尽きてしまうということも珍しくはない。このようにあらゆる手順を把握していても最後には運の要素が絡んでくるゲームである。

 さまざまな困難の果てに、すべての宝を小屋に持ち帰り、しばらく洞窟の中をうろうろとすると、唐突に「洞窟はまもなく閉じられます。すべての冒険者はメインオフィスを通って脱出してください」とアナウンスが洞窟のなかで流れる。さらに洞窟をうろうろすると今度は「洞窟は閉じました」というアナウンスが流れ、プレイヤーは突然ワープする。ワープした先は「プログラムの倉庫」と呼ばれる場所で、ゲームで登場したこれまでのアイテムがガラクタとして大量に埋もれている。そこから地上に出ることも違う部屋に行くこともできず、プレイヤーは閉じ込められてしまう。ここで間違った行動をすると死んでしまうが、最後の謎を解くことができたら洞窟から脱出することができてゲームのクリアである。洞窟の外ではエルフの音楽隊がプレイヤーを祝福してくれてる。スコアの報告とそのスコアに見合った称号、そしてクリアまでの行動回数が表示され、今度はもっと少ない行動回数でクリアに挑戦してみようと推薦される。

 

 以上が『CCA』のクリアまでの流れである。プレイヤー側の視点に立てば、いくつかの攻略の段階を踏むことになる。ひとつ目は入力する言葉の把握、二つ目が地図を作成すること、三つ目が謎解き、四つ目がインベントリの管理、五つ目が最短ルートの確立である。どれも並行的に行われるものだが、ランタンの寿命があるとわかったとき、最終的には最短ルートを確立することが目標になると気付く。このゲームは何度も最初から繰り返すゲームだが、情報はプレイヤーのなかで蓄積されていく。最初は手探りで探検していたが、熟練したプレイヤーになると地図やインベントリの管理が頭のなかで入っており、やればやるほどゲームのテンポは加速される。未知なる洞窟に翻弄されていたプレイヤーは、終盤では洞窟を自分のコントロール化に置く。それが快感の感情に繋がるゲームデザインになっている。ドワーフや海賊といった乱数要素は終盤の流れ作業的なプレイの中にほどよい緊張感を与えてくれている。

 不可解なのはやはり終盤の展開である。ファンタジー的世界観の洞窟で宝探しをしていたはずなのに、「すべての冒険者はメインオフィスを通って脱出してください」とアナウンスが流れ、「プログラムの倉庫」に辿りつく。『CCA』がビデオゲームであることを暴露したメタ・フィクション、楽屋落ちのクライマックスである。ゲーム中にこれらの伏線は出てこないが、実は「時間」(hours)とコマンドを入力すると「コロッサル・ケイブは午前9時から午後5時(月曜から金曜、休日を除く)は運営を中止しています。」というメッセージが出てくるため、実は洞窟そのものがひとつのアトラクションであることがわかる。ただし「時間」というコマンドはゲームをはじめたときに「説明」のコマンドのときに触れられるコマンドであり、攻略上使うことはない意味のないコマンドである。最初にはじめたときに入力したプレイヤーは忘れているだろうし、最後まで入力しなかったプレイヤーもいるだろう。どちらにしろ「プログラムの倉庫」というのはアトラクションとしても不可解であり、このようなクライマックスを用意したのが『CCA』の大きな謎といえる。

 ひとつの考え方として『CCA』はビデオゲーム文化が芽生えた瞬間のゲームであり、当時、ストーリーメディアとしてのビデオゲームという概念はなかったことである。ひとつの統一されたフィクションの世界と物語を構築するというよりもコンピューターを使った『D&D』の一種のパロディという気持ちが強かったのではないだろうか。このことは『ウィザードリィ』や『ウルティマ』にも見て取れる。これらの作品にもビデオゲームであることを暴露したジョークや、メタ・フィクションがゲーム本編の物語の一部と化している。ゆえに『CCA』の楽屋落ちはジョークやパロディといった類なのかもしれない。とはいえ『CCA』はそのメタ・フィクションは終盤になるまでほぼ明かされないので、仕掛けとしては出来すぎているともいえるのだが。

 

ADV史 1

 アドベンチャーゲームの歴史、ストーリーゲームの歴史を体系的に論じてみたい。だがまずはその前にビデオゲーム産業の成り立ち、ADVが生まれたコンピューター文化の状況から説明する。

 

 どのようにしてビデオゲーム産業が形成されたのだろうか。その観点から真っ先に挙げられる重要なコンピューターはDEC社のPDPシリーズである。この最初の機種であるPDP-1はリアルタイムで画像処理が可能な大型コンピューターだった。1960年代初頭は大学や研究機関でさえコンピューターが普及していなかったが、マサチューセッツ工科大学にはDEC社がPDP-1を寄付していたため数少ないPDP-1がそこには存在していた。マサチューセッツ工科大学の学生スティーブ・ラッセル(Steve Russell)はこのPDP-1を使ってプログラムの実演として『スペースウォー!』を1962年に開発した。宇宙船を操作してミサイルを発射して敵を打ち落とすというゲームで、世界初のシューティングゲームといわれている。この『スペースウォー!』は大評判になったため、各地の大学や研究機関のPDP-1に配布され、それを皮切りに他のコンピューターにも移殖され、さまざまな改良版が登場した。

 

 ユタ大学在籍中に『スペースウォー!』に魅せられたノーラン・ブッシュネル(Nolan Bushnell)は、このゲームを大学や研究機関に属していない一般の人にも広く遊んでもらうことができないだろうかと考える。ノーラン・ブッシュネルが思いついた戦略はPDPのような高価な汎用コンピューターを使うのではなく、専用の集積回路を作って既存のテレビ機構に繋ぎ、アーケード施設でコインゲームとして展開するものだった。これは現代のアーケードゲームの筐体の考え方そのものである。この発想をもとに『スペースウォー!』を模した『コンピュータースペース』というゲームを構想し、仕事から帰ってくると、自分の娘の部屋を占拠してまで開発にかかりきりになる。だがこれでも開発に限界があっため、遊戯機械を作っていたナッチング社に転職することでやっと1971年にナッチング社から発売にこぎつけることができた。しかし『コンピュータースペース』は、(当時はこの概念はなかったが)いわゆるクソゲーとして受け止められ人気が出ずに失敗に終わってしまう。

 

 そのころ専用の集積回路を既存のテレビに繋いでゲームをするという、まったく同じ発想を先に思いついていたラルフ・ベア(Ralph Henry Baer)がいた。ラルフ・ベアはテレビの機能を拡張しようとしてこの発想に辿りついていたので、アーケード施設ではなく一般家庭こそが射程だった。こうしてラルフ・ベアは世界初の家庭用ゲーム機である『オデッセイ』を電気機器メーカーのマグナボックス社から1972年に発売する。当時はハードとソフトの境界線はなかったため『オデッセイ』には『テーブルテニス』という両端のラケットから玉を交互に打ち合うゲームだけが収録されていた。ハードの機構、ソフトの面白さとも評価は悪くなかったが、代理店が玩具屋に卸さなかったり、広告の失敗から大ヒットとまではいかなかった。しかし『オデッセイ』に衝撃を受けたノーラン・ブッシュネルは、辛酸を舐めたナッチング社とは手を切り、自らアタリ社を創業して『コンピュータースペース』の反省を活かしつつ新たなゲームを開発する。それが『ポン』であり、明らかにラルフ・ベアの『テーブルテニス』を真似したアーケードゲームだった。『ポン』の人気は爆発し、初めて一般の人にも広くビデオゲームを普及させたゲームとして歴史に名が刻まれた記念碑的なゲームになった。『ポン』を家庭用向けに移殖した『ホーム・ポン』も作られこちらも大ヒットする。ビデオゲームに市場価値があると気付いた他社はアタリ社に続けと次々と参入し、こうしてビデオゲーム産業の幕が開けたわけである。

 

 一方、もともと大型コンピューターであったPDPは順当に小型化を続け、後継機であるPDP-8からミニ・コンピューターという分野が生みだした。ミニ・コンピューターといっても大型コンピューターと比べてミニだったというだけであり、実際にはまだ家庭用冷蔵庫くらいのサイズはあったが。しかし、それでも大型コンピューターより運用ははるかに簡単であり、大学や研究機関、公共施設や企業で広く普及していった。またほんのごく一部の個人がコンピューターを家庭で所有する状況がPDP-8以降の1960年代後半にかけて形成されていった。それはほとんどコンピューター革命とも呼べる状況だった。

 

 こうして1970年代に入り、多くの大学でコンピューターに触れれることができた学生たちはたちまちコンピューターに熱狂し、『スペースウォー!』のスティーブ・ラッセルを追いかけるように数多くのゲームを作っていった。ノーラン・ブッシュネルによってビデオゲームは金になるという価値観が生まれつつあったが、それでもコンピューターの管理権を握る大学は学生が作るビデオゲームに価値があるものとは見なされなかった。当たり前の話だが設置されたコンピューターは教育や学術用途のために置かれたもので、ゲームを作ったりプレイしたりするためのものではない。メモリ容量も限りがあるので、学生は次々とゲームは作ったが、次々と大学に削除されていった。このため当時作られたゲームの多くが現存しておらず、歴史から消えてしまったものが数多くある。だが優れたゲームほどコピーされたし、この当時、ARPANETという現在のインターネットの直接的な前身のネットワーク通信があり、大学の削除から逃れることができた運が良かったゲームは大学を超えて他の大学へと拡散されていった。詳しくは触れないが、ARPANETとは独立した形でイリノイ大学が考案したPLATOネットワークがあり、こちらもまったく同時期に大学のビデオゲーム文化の一翼を担った。この時期、ネットワークを使ったマルチプレイヤーゲームはすでに実現できていた。

 

 ARPANETの開発に関わったBBN社のプログラマーであったウィル・クラウザー(William Crowther)は『Colossal Cave Adventure』(以下『CCA』)を1975年から76年にかけて開発する。『CCA』はBBN社に置かれたPDP-10を使って仕事の合間に作られたものである。世界初のADVであり、具体的にどういうゲームだったのかは次回の記事で触れることにする。ウィル・クラウザーは出来上がったゲームをボストン大学で配布すると、これまでにないゲームとしてたちまち評判になった。ボストン大学は西海岸に位置するが、『CCA』のコピーはARPANETを通じ、東海岸スタンフォード大学にも行き着く。ボストンという場所はハーバード大学や、『スペースウォー!』を生み出したマサチューセッツ工科大学などがひしめき合う高等教育の風土がある地域だが、スタンフォード大学もまたシリコンバレーの土台となった歴史的にコンピューターと深い関わりがある大学だ。

 

 ある学生がスタンフォード大学医療センターのコンピューターから見つかった『CCA』を話題にしているのを小耳に挟んだ同大学のコンピューター・サイエンス学科の大学院生だったドン・ウッズ(Don Woods)は、その学生から『CCA』をコピーしてもらった。そのコピーはドン・ウッズが勤めていたスタンフォード人工知能研究所のコンピューターではOSの違いによってうまく動作しなかったが、それでも一応は動作はした。このゲームのまったく新しいコンセプトに魅せられたドン・ウッズはそのうち制作者のウィル・クラウザーに連絡をとろうと考え始めるが、『CCA』にはウィル・クラウザーの名前はクレジットされていたものの、連絡先までは書いていなかった。そこでドン・ウッズは一計を案じることにした。ARPANETの数多くあるホスト・コンピューター宛に「Crowther@ホスト・コンピューターの各ドメイン名」という風に一台ずつメールアドレスを変えながら送信した。送信エラーで返ってくるメールのなか、一通だけメールが正常に送信され、かくしてこの作戦は成功する。見事にウィル・クラウザーと連絡を取ることができたドン・ウッズは、何度かのメールのやり取りの後に『CCA』を改良する許可を得て、ソースコードを入手する。ドン・ウッズもまた優れたプログラマーだったので、『CCA』のバグを修復し、プログラムをより洗練されたものにした。冒頭にゲームの説明を追加し、部屋や通路を増やし、謎解きやトラップを増やし、スコアを追加し、もともとあったファンタジー要素をさらに高めた。こうして誕生した拡張版『CCA』はスタンフォード大学ですぐに流行し、ARPANETを通じて全米のゲーマーコミュニティを熱狂させた。かつての『スペースウォー!』のように『CCA』にも様々な改良版が生まれていった。

 

 ドン・ウッズの拡張版『CCA』はオリジナル版より遥かに多くのプレイヤーを生み出し、むしろこちらこそが基本となった。プレイヤーの中からは『CCA』を見習い、『CCA』を改良するだけではなくオリジナルのADVを作ろうとする多くのフォロワーを生み出した。そのなかには後にADVを牽引するデイヴ・レブリング(Dave Lebling)、スコット・アダムス(Scott Adams)、ロバータ・ウィリアムズ(Roberta Williams)がいた。彼、彼女らは口をそろえて『CCA』の虜になった証言している。もし歴史研究が進み『CCA』以前にまったく同じようなゲームが発掘されたとしても、広域かつADVを牽引する中心人物に直接的に影響を与えた点において『CCA』の偉大さは揺らぐことはないだろう。このことは初期のコンピューターRPGとは決定的に違う点であった。なぜならコンピューターRPGは『D&D』をコンピューターで再現することから出発したため、明確な起源が設定する困難さがつきまとっている。『CCA』もまた『D&D』の影響を強く受けていたが、同時にいくつかのルールからは距離を置いたため、『CCA』はRPGとは違う独自性を発揮できた。このため『CCA』は早い段階からADVを作るフォロワーにとっての唯一の起源として聖典と化したのである。逆にいえば初期のADVは『CCA』の影響を強く受けすぎており、1980年代中頃まで完全に脱することはできなかった。『CCA』はそれほど初期のADVの典型的なスタイルを作ったのである。次回ではその典型的なスタイルとは何かを定義してみよう。

 

 余談ではあるが『CCA』にはロマンティックな逸話がある。離婚したばかりのウィル・クラウザーは疎遠になりつつある2人の幼い娘を楽しませるために『CCA』が制作したのだという。いささか神話めいた話ではあるが、ウィル・クラウザーの娘が『CCA』をプレイしたのは事実である。そしてドン・ウッズがわざわざウィル・クラウザーに連絡をとった事実も見逃せない。この時代はゲームの権利は希薄だったし、許諾なしに改造されていったのが普通だったのだ。キザったらしく言えば最初のADV、最初の本格的なストーリーゲームは愛によって生まれたと言えるだろう。